似顔絵についての考察

ちょっと難しいタイトルですが。

なんだかとりとめもなく考えていたことを書き出したくなったので日記にします。

似顔絵始めて実はもう7年になるのですが、
似顔絵を描くってことに対して随分いろんなことを考えてきました。



昔、絵描きの友達に、
似顔絵の活動のことを話したとき

「そういうのアートじゃないよ」

と言われたことがあります。


「確かに」

って思ったけど、
若干傷つきました。




まず、似顔絵とアートの違いとは何でしょう。

似顔絵は、まずどういう絵にするかが最初から決まってます。
アートは、あやふやなゴールに向かって、いろいろと手を変えながら、成功したり失敗したりして作ります。

似顔絵は、クライアントありきです。
クライアントがあって、その人が自分にどういう絵を描いてほしいかを探る作業です。

アートは、自分ありき。
自分の中の哲学を、時代に沿って、如何に形にするかを探る作業です。


つまりは、最終的な仕上がりのベクトルが相手に向かうか、
自分自身に向かうのか。

という違い。


つまり、同じ「絵を描く」っていう作業でも、
こころの中の動き方が全く真逆なんです。


このことが言葉にできなかった時期はすごくしんどくって、

アーティストになりたいって言ってて、こういうこと(似顔絵)をやるのは、
すごい軽薄なんじゃないかって、

似顔絵の活動を一次中断していた時期もありました。



でも
「アートじゃない」

そのことは、

「アーティストならそういうことはしちゃいけない」
って結論には、自分の中ではどうしてもならなかった。



似顔絵を心待ちにしてくれてる人がいて、

例えばそこに、自分自身の哲学がなくても、
「相手の顔色を伺いながら描く絵」 ではなく
「相手の心に寄り添うための絵」 という言い方ができるなら

それはその人にとって、唯一の、かけがえのない時間とモノになるのではないかなぁと思うのです。



暴力的な側面や、
バーチャルに傾倒する側面も人間の一部として、
そういったものを芸術に昇華する試みもたくさんあるのですが、


相手の気持ちを推し量るっていう側面を

人間の大切な一部として残すのもいいんじゃないでしょうか。


なんて、今思いついた。




数年前に、老人介護の施設で、
ボランティアで似顔絵を描いてた時期がありました。

ちょうど、絵を描くことがわからなくなって、しんどかった時期でした。


やってみてわかったことが、
似顔絵を描くってことが、描かれた人にとってのかけがえのない時間になることと、
その絵が、その時間の証明として、その人の手元に残ること。

何よりみんなが、描かれた人、その家族、周りにいた人、施設の職員さん、
みんながびっくりするほど喜んでくれました。
軽薄なこととして扱う人は、
ひとりもいませんでした。




プライドを持って絵を描くことはどちらも同じ。
どちらも気を抜いたままできあがるものではありませんし。


いろいろな人と関わって、
絵を仕上げて、それによってまた新たに想いが続いていくような、

そういう関係を形作れるものって、実はとっても少ないのかもしれない。



もうひとつ、似顔絵とアートの決定的な違い。

似顔絵は、描かれたその人、またはその家族にだけ、価値のあるもので、
この価値の、他人との共有(つまり転売とかの行為)っていうのはできません。

アートは普遍的な価値を見出すものだから、
だからこそ転売や競売が起こるのだけれど。


似顔絵は、その絵に対する思いいれを理解できるのが、
その絵を注文した人以外にいないんです。

だから、身に着けてるものや、使う色なんかを細かく指定してもらうし、
うち自身の余計な偏見や価値観はなくす。
そうじゃないと、意味がないと思う。



アートではないかもしれなけれど、

こういう活動は、もうちょい他の分野として、価値があるような気がします。

たまたま、方法が、「絵を描く」っていうだけのこと。



それでも同じ「絵を描く」作業だから、
描いてるうちに気持ちがさまよったりして、
やっぱりたまにしんどくなる時期は来たりするのですが。

いろんな人と関わって、
いろんなことを思い出したり気づいたりしながら

もうちょっとがんばろうと思いました。



こんな長々としたひとりごとに、
ここまでお付き合いいただいた方へ。

感謝。
[PR]

by do_do_bird | 2010-03-18 19:31